二期作、二毛作、裏作・・・。
多雨と豊かな土壌に恵まれた 日本では、一年に何回かの収穫が可能である。
その日本に、“三年一作”といわれた土地があった。
新潟平野である。
泥のような深田では、もとよ り生産力は低い。
加えて、その少ない実りがすべて、2、3年おきに生じる大洪水によって流されてしまうのである。
だれも予測し得ぬ天候、あくなき害虫や雑草との闘い。
全身泥まみれの農作業や、肌も 凍てつく冬場の客土。
そして、ひとたび堤が切れれば、それら一切は跡片もなく 流出。
濁流は家屋を襲い、人畜を殺 傷し、何日も水は引かず、新 潟平野は一大泥海と化した。
「おおや おやげなや(「むごたらしい」の意)曽川が切れた 抱いて寝た子も流された」(曽川切れの口承)
「・・・茄子や豆などいずれも腐れ、胡瓜[きゅうり]・南瓜[かぼちゃ]は蔓[つる]皆枯れた、
瓜も西瓜[すいか]も食うことできず、稲も枯れては米価は高く、味噌を損じて塩のみなめる、
箪笥[たんす]・長持流れてしまい、 鍋や釜など皆打ち沈み、
臼[うす]や桶[おけ]類残らず失せて、ムシロ・畳もぬれたる故に、
夜着や布団も臭さは腐し、井戸はつぶれて飲む水乏し・・・」
(「横田切口説」より)
下流では多くの村が土手によって守られている。
その土手が今にも壊れそうなほど川の水が溢れた場合、どうするか。
対岸の村の土手が決壊すれば、とりあえず川の水は一挙に引く。
大雨の中、夜陰にまぎれて対岸の土手を壊しに向かう決死隊すら結成されたという。