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戦前の話から始めたい。

上越線に乗って新潟へ来ると、新潟へ着く直前に巨大な湖が現れる。

しかし、どう探しても地図には載っていない。

あれほど大きな湖なのに・・・。

多くの人が不思議に思ったという。


湖の大きさは東西11キロ、南北10キロ、約1万ヘクタール。

東京23区の約4区分に匹敵する広さである。

現在のJR新潟駅や周辺の繁華街まで含む亀田郷一帯が、その“地図にない湖”であった。


なぜ地図に湖と記載されていなかったのか?


人には湖に見えたその一帯は、新潟農民のなけなしの“農地”だったからである。


写真の光景は、釣ではない。

舟に積まれた獲物は“土”。

農民は、その肩まで沈む湖のような農地を1ミリでも高くするため、毎年、川の底から舟でわずかな土を浚[さら]ってきては、自分の農地に撒[ま]き続けた(客土という)。

収穫を終えた晩秋から雪が積もり始めるまでの、農家総出の重労働であった。


水郷地帯というだけなら、他のも沢山ある。

日本のベニスともいわれた潮来地方、クリークで有名な佐賀平野。

川の湿地帯を開発してできた日本の水田社会は、

多かれ少なかれ水郷地帯であった。


しかし、土を乗せる舟、つまり、“どぶね農業”の存在は、ここ、新潟平野だけではなかろうか。


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