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part.1 国土と人々 part.2 国土づくりの歴史 part.3 技術の歩み
古墳の築造



 巨大古墳は、古墳中期(5世紀ころ)ごろにつくられているが、巨大な権力と優れた土木技術の存在を我々に示してくれる。
 古墳の技術は、溜池や条里と同質の技術体系の上に成立した。すなわち、土の運搬・盛土、方位・距離・角度などの決定、土工量・労働量等の算定、鉄器の導入などである。
 例えば、古墳と溜池の土工量については、長さ90mの前方後円墳と約109m四方の溜池が同じ土工量だとする試算がなされており、労働量の点からもこの二つが同質なものであることがうかがわれる。
 こうした技術は大陸から伝えられ、朝鮮から渡来した技術者とともに、古代の土木技術の大躍進をもたらしたものと考えられる。
 この時代の最先端技術ともいえる古墳の技術を、仁徳天皇が埋葬されているといわれている大山古墳(大阪府)を例にみてみよう。大山古墳は墳丘の長さ約480m、高さ約30mの巨大な前方後円墳である。
大山古墳鳥轍図
大林組のコンピュータ・システムによる大山古墳鳥轍図(現況)




大山古墳平面図
大山古墳平面図(現況)
 大山古墳は最大高さが30mもある。これだけの高さの盛土から地盤が受ける載荷重は1m2当たり50t以上にもなる。これは12〜30階建ての鉄筋コンクリートビルを地面の上に直接置くのと同じ程度の荷重である。このため、地質的に堅固な場所を選定したものと考えられる。また、巨大な重量を支えるために、三段の段盛りとなっており、各段の角度は、土の安息角以内に収まっている。





 築造に先立ち、実際に地面に輪郭を描いたが、このときには、杭と縄による方割がなされた。
 古墳は、水平面と斜面からなる立体構造物である。水平面は溝や木槽に水を張って求めた。角度は、底辺と高さからなる三角形により求めた。
 長さの単位は、大人が両手を広げた長さ(尋)を基本にしているという説があり、大山古墳の場合、1区画は男性が両手を広げた長さ160cmの19倍になっている。



 掘削には鋤と鍬が使われたものと思われる。これらは、木製のもののほかに鉄製のものもかなり混じっていたものと考えられる。
 土の運搬には、負子やもっこを使ったものと思われる。また、石棺の運搬には修羅というそりが用いられた。



 大山古墳は、土の突き固めにそれほど配慮した痕跡がない。これは、盛り立てがかなり長期にわたってなされたためと考えられる。そのかわり、斜面は葺石とよぶ猫や犬の頭大の大きな礫でがっしりとおおった。



 こうしてできあがった大山古墳は、堺の港を目指してきた古代の舟人の目に真っ先に飛び込んでくる。
 葺石におおわれた巨大な墳丘は、舟人にその長い横腹を見せながら、まばゆいばかりに白く輝くのであった。
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