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part.1 国土と人々 part.2 国土づくりの歴史 part.3 技術の歩み
トンネル水路,箱根(深良)用水



 箱根用水(深良用水)は、寛文10(1670)年に完成した。これは、芦ノ湖(神奈川県)の水を延長1,280mのトンネルを通じて静岡県裾野市へ導いている。当時、水不足で新田開発はもちろん、すでに開かれていた水田の用水確保もままならなかった農民に、大きなよろこびを与えたものであり、土木技術上も興味をひく内容に満ちている。
 神の水である芦ノ湖からの導水は、箱根権現の許可が必要であったが、完成後は年200石を献上するという約束のもとに、許可を得て工事に着手するのである。



 寛文6年、芦ノ湖側および深良側からの両口掘削方式によって工事が開始された。
 工事測量は、両口を見通せる湖尻峠を基準点として芦ノ湖と深良側の高低差を求め、全体の勾配を決定する。その結果、両口の総落差は10mであること、延長は1,280mであることから、トンネル勾配は1/130と見積られた。
 現在、トンネル中央部には、約1mの落差が認められているが、これが工事上の誤差によるものか計算されたものかは、不明である。
 
トンネル内部 合流点の段差(落差)



息抜穴
 
深良水門
 掘進方向は、行灯を利用し、日々掘削地点で確認したようである。掘削器具は、当時の鉱山採鉱で利用されていた、つるはし・のみが主体であり、凝灰岩主体の地質のなかで断層・破砕帯・崩落・湧水に悩まされながらの工事であった。平面的にみれば路線は蛇行しているが、硬い岩を避けながらの掘進であったためでもあろうし、誤差修正を行いながらの掘進であったためでもあろう。トンネルでは中央部の落差のほか、両方の坑口から150mほどの位置に設定されている換気用とみられる立坑が目を引く。
 寛文10年、トンネルは湖尻峠の下で結合した。4年にわたる歳月と延べ834,000人、工費7,300両を要したトンネルは、当時、他に類をみないものであった。
 深良燧道とよばれているこのトンネルの技術的な記録は、皆無である。幕府は、掘削技術が民間に広まることを憂慮したのであろう。
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