水土の礎 キッズページ サイトマップ ご意見・お問い合せ
水土の歴史年表 地域の礎 水土の成り立ち 大地への刻印 国土を創造した人々 礎の歴史的展開 近代日本の礎 水土の巧
part.1 国土と人々 part.2 国土づくりの歴史 part.3 技術の歩み
農地をつくる,干拓



 干拓には、海面干拓と湖沼干拓の二つがある。海岸の干潟または海面を堤防で締め切って行われる海面干拓は、潮位差が大きく干潮時に広大な干潟が露出する西日本の内海で多く行われた。また、湖沼の内水を排除して行われる湖沼干拓は、潟湖の多い東日本でおもに行われた。



 江戸初期までの海面干拓は、大潮平均満潮位付近のかなり陸化した場所で行われた。堤防は、土俵を積んだもの、竹かごの中に土を入れたもの、松丸太の杭を一定間隔に打ち込み、これにそだや竹材をからませて堤防の芯とし土を盛り上げたものなどであった。
 江戸中期以降になると、小潮平均満潮位までが対象となり、堤防は表面を石積みで保護するようになった。
 大正末期には、海中に堤防が築かれ、堤防の表面はコンクリートブロックで保護された。終戦後、背後盛土にサンドポンプ工法が用いられ、昭和30年代半ばから、アスファルト舗装の緩傾斜堤のものがでてきた。




排水路を堀削するポンプ浚渫船
 江戸中期以降、海面下の干潟までが干拓の対象になると、「潮止工」が必要になった。
 「潮止工」は、堤防に潮汐の出入口を設けておいて、築堤の最終工程として、干潮時に一気に締切る工法である。
 小潮平均満潮位付近に築堤していたところは土俵などを積み重ねて比較的簡単に短時間で行っていたが明治後期以降、対象が海面まで拡大すると、角材を支柱の間に挿入する角落としが行われた。
 一方、湖沼干拓では、明治中ごろまでは、疏水路などの開削による自然排水方式をとっていたが、明治後期以降、排水ポンプによる機械排水方式となった
海水を遮断する潮止工
海水を遮断する潮止工(笠岡湾干拓)
鋼製枠上から石材を投入して締切ったが、潮流は最高毎秒4mにも達した。
 
捨石を行う転倒式石運船 干拓地の海底ヘドロを乾燥させるための暗渠掘削
前のページへ 次のページへ