川が育てる平野

 日本の河川は、大陸の河川に比べれば、流域も流路延長も小さい。また河川勾配は急で、流量は季節により大きく変動する。降雨時にはきわめて大量の出水があり、大量の土砂を運ぶ。このような特性は大陸の河川では最上流部でみられるものである。日本ほど変動の激しい河川の流域に多数の人が住み、高度な水利用と、河川の制御に万全を期さねばならない所は、世界でもまれである。

 河川は、山地をはなれて平野や盆地に流れ出すと、運搬してきた土砂を堆積し、扇状地を形成する。また、河口付近には細粒の土砂を堆積して三角州をつくる。三角州と扇状地の間には、流路の両岸に土砂を堆積して自然堤防と後背(湿)地からなる氾濫原をつくる。沖積平野は、基本的にこの三つの堆積地形からできている。台地は、洪積世(更新世)に形成された平野が海退もしくは隆起したまま残ったものである。これら、河川の作用によって形成された平地が、人々のおもな生活舞台となっているのである。


日本と世界の河川の勾配比較



 平野は発達する。海面であったところが湾→潟→湖→平野へと長い年月をかけて変化し、陸地が前進する。人間の活動がそれを促進する。わが国で最も古くから開発された大阪平野は、こうした発達の典型例である。生駒山地と半島状に突出した上町台地に囲まれた河内低地、および上町台地西側の現在の都市域(大阪低地)は、自然の堆積作用に加えて、河川の付け替えを含む絶えざる干拓によって形成された新しい平野である。記紀のころからすでに耕地開発が進められ、近世には大々的に新田開発が進められて現在の姿になったその歩みは、わが国の国土形成における見本であるといえよう。
 大きなスケールの地形以上に、河川のつくる微地形は、人々の生活に影響を与える。自然堤防などの微高地は集落に、その後背地にあって湿地になりやすい微低地は水田にと、それぞれ好適地を選んで利用される。特に、土地のあるがままの状態を改変する技術が未熟な段階にあっては、こうした微地形が人間の生活を左右するといってよい。人々は河川と苦闘しながら、新しい沖積地への進出、洪水による村落の廃絶・再建といった過程をくり返して、現在の高密度な生活空間をつくり出したのである。


大阪平野の形成史
縄文海進でできた河内湾が、湾口に突出した上町台地から北方に発達していく砂州によって閉塞されるとともに、流れ込む河川の堆積作用で埋まっていく。自然にできた沿岸州より沖合には、近世以降の新田開発と埋立てで、新しい土地が形成された。