コラム 国生み、国引き神話

 わが国の天地創造神話は、混沌とした中から伊邪那岐・伊邪那美の2神が大八島を生み出す物語である。他の多くの国々の神話にも同種のものがあるが、海の中に浮かんだ多くの島というわが国の特別な状況を反映してつくられたものであろう。生み出される島の順序が、大阪湾から西へ淡路・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬……となっているのも興味深い。
 出雲地方には国引き神話があって、『出雲国風土記』には、大国主命の祖父神に当たる八束水臣津野命が、国の狭さを嘆き、国土を広げるためはるか朝鮮の方からも島を綱で引き寄せたとある。杵築の岬、狭田(佐大)・闇見・美保の岬などの国引きを終えた命が、杖を立てて「意恵」と言ったので、この嘆声をとって郡名にしたという意宇の地は、出雲氏の根拠地であり、中海も古代には「飫宇の海」とよばれていた。命が大山に綱をかけて美保関を引き、引いた綱が弓ケ浜となったという。
 この神話は、島根半島の形成史とよく対応しており、島根半島は縄文海進のころには離島であったのが、その後の海退と、弓ケ浜砂州の成長、斐伊川からの流出土砂によって、陸続きになったことを表現したものと解釈できる。
 八岐大蛇の話からも、同様に川と人間との戦いを読みとることができる。斐伊川は出雲川ともよばれ、「出雲川八筋の流れ」と言われたように、簸川平野の出西あたりから多くの分流となり、西に流れていた。現在のように宍道湖に東流するのは、寛永16(1639)年の大洪水以降である。

 八岐大蛇は、この川の乱流ぶりを象徴したものであり、須佐男命がそれを退治したという話は、川を制御したということかもしれない。命が助けた娘の名は櫛名田比売(奇稲田姫)、その両親は足名椎、手名椎という。人々の労働でつくられた美田を想像できる。大蛇の尾から出てきた宝剣草薙剣は、古くからこの地で行われてきた砂鉄による製鉄を思わせる。須佐男命は高天が原から降りてきた渡来の人で、鉄器を用いて土木工事を行ったのだろうか。
 8世紀に編纂された記紀や風土記には、このように国土の形成の歴史が記録され、物語られている。


斐伊川の河道と宍道湖の形成